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「前書き」
断じて変な宗教に入った訳ではありません!
これは単なる知的好奇心からの「神」に対する考察です。それを踏まえて読みたい方は読んでください。これを見てよそよそしい態度とかとられたら僕はだいぶ凹みます。笑


「(これを書くに際しての)葛藤」
吾妻A(《前書きを見て》それなら書くなっての!
吾妻B(でもこういう話に興味のある側面も僕にはあるんよ。
吾妻A(世間体か興味か、それが問題だ。
吾妻B(普通は世間体やけど、ちゃんと説明さえすれば大丈夫だよ。
吾妻A(しかし神とか宗教って個々人の中でもタブーやったり…
吾妻B(全くだよね。しかしこれはお前のblogだろ?お前の思想やろ?
吾妻A(しかし友人に公開している時点でblogは公共に対するものでもあるよ。
吾妻B(確かに。ってこれblog論じゃん。笑
吾妻A(ほんまや。笑
吾妻B(ま、いいか。もう一回前書きしとこう。


「前書き」
断じて変な宗教に入った訳ではありません!
これは単なる知的好奇心からの「神」に対する考察です。それを踏まえて読みたい方は読んでください。



では行きます!



《神は存在するか?》


まず論理的に、科学的に考えて神がいるとは考えられない。何故なら根拠、証拠がないからだ。


よって神は存在しない。


では何故ここま神が身の回りに溢れているのか?それは人間が神の存在を願うからだ。自分が苦しい、悲しい、とき、誰も助けを差し伸べてくれないとき、に助けてくれるもの、それが神であるのかもしれない。

まあ神は人それぞれだし、いつ必要かなんて人それぞれだろうけれど。
(しかし、特に現代の日本人が欲しがっている神なんて所詮はご都合主義なものであろうさ。



ここからはあくまで僕の主観、

思えば私は実に挫折の多い道を進んできたものだ。それは単純に自分の努力不足であることもわかっているし、そのことを後悔もしている。しかし、そのおかげで僕は挫折に屈しなくなった。だからたぶんどんな環境にいても幸せを追求できるという漠然とした何かがある。

だから僕に弱いものを救ってくれる神なんて必要ない。


でも澄んだ空気の中で、なんとも神々しい朝日を目にしたときは素直に神に感謝しようと思う。


もしかすると、僕の中のその「神」というのはこの地球を生み出している全ての生き物なのかもしれない。そしてこう思う自分がいて初めて信仰心は宿るものであるのだろう。


ということは自分を生かすも神、殺すも神、喜怒哀楽をくれるも、食をくれるも、全ては「神の思し召し」ということになる。


つまり僕の神は全ということもできるのか。


神はいないが、全ては神の思し召しか。見事に両極端やな。笑


『今回の思考で生まれた疑問』

・やはりこの世の全ての事象は二極化であるのか?
・何故人格神は現れたのだろう?

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