歩
歩
since 2006/05/17
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
このブログはあまり暗いことを書かないように心がけています。本来ならこの「生と死」は未公開にし、人の目に見えないところに記録するのですが、これも自分の一面!京都に帰るのを明日に控えた今日、帰省のまとめとしてここに今の自分の考えを公開しておこうと思います。先に言っておきますが、相当重いです。ですが、これを見て近づき難くなるイメージを出すのは私の意に反します。ので、今まで通り接してください。笑
この夏休み、僕は子供と遊んでいることばかり記事にしていましたが、実は今回の帰郷は休養が目的ではありません。実は僕の母方のおじいちゃんがもう老衰であと余命が幾ばくになるかわからないということで、急遽帰宅することになったのです。勿論今まで記事にしてきたことも嘘ではありません。ほぼ毎日一時間程度通っていました。
帰ってきて僕が見たおじいちゃんはお喋りはおろか、もう満足に息すらできていませんでした。口には酸素を吸入するための装置があり、腕は肉がまるでなく、足など硬直し、ロダンか何かの彫刻のようになっていました。右目は目やにでもはや見えないし、開けない。唯一のコミュニケーション手段は左目の動きと左手の指先のわずかな動きでした。それでもまだましになった頃だったようで熱もひき、きれいな顔つきをしていました。僕のお母さんは「せっせっせ~のよいよいよい」と、おじいちゃんの好きな歌を小さい声で毎日歌って聴かせていました。僕はこの行為を見てもう見ていられないし、この死の現場に来たくなくなりました。こんなことを言っては不孝の極みだし、今までかわいがってもらった恩に対し申し訳が立たないので、僕もほんの少し歌を歌ったり、話かけたりしました。僕は思いました。こんなになるまで延命をさせるのはかえって残酷ではないのか?もう死なせてあげればいいのに、と。これはいけないことだろうか?死ぬ自由はないのであろうか?
私は死が恐い。何故か?死がどういうものか得体が知れないからだ。しかし、恥をかきつつ生きながらえるぐらいなら死を選びたい。
一方、僕は自分が暇なときに子供とよく遊びました。これはこれまで記事にしてきた通りです。子供と遊んでいると、エネルギーを子供からもらっているように感じます。子供という生物は純真無垢という言葉が本当に似合います。子供は何に対しても全力で取り組み、全力で興味を示します。これは全身で世界を知ろうとし、感じようとしているからでしょう。
私はこの夏、「生と死」両方の経験をしました。これはすごく貴重な体験であり、僕も少し考えさせられました。僕が思うに、社会の上で生きることにも、死ぬことにも自由などなく、自分はただ与えられた生を限りなく有意義に使うことこそが人生なのかと今思います。有意義な生とは多くの人の為に役に立つことか、それとも自分の為の投資なのか、それは今答えの出ることではありません。たぶんこれからも探し続けるのだと思います。
ただ、これは共通してみんなに言えることだと思います。
「あなたは彼に生かされている」
「彼はあなたに生かされている」
「僕はあなたに生かされている」
この夏休み、僕は子供と遊んでいることばかり記事にしていましたが、実は今回の帰郷は休養が目的ではありません。実は僕の母方のおじいちゃんがもう老衰であと余命が幾ばくになるかわからないということで、急遽帰宅することになったのです。勿論今まで記事にしてきたことも嘘ではありません。ほぼ毎日一時間程度通っていました。
帰ってきて僕が見たおじいちゃんはお喋りはおろか、もう満足に息すらできていませんでした。口には酸素を吸入するための装置があり、腕は肉がまるでなく、足など硬直し、ロダンか何かの彫刻のようになっていました。右目は目やにでもはや見えないし、開けない。唯一のコミュニケーション手段は左目の動きと左手の指先のわずかな動きでした。それでもまだましになった頃だったようで熱もひき、きれいな顔つきをしていました。僕のお母さんは「せっせっせ~のよいよいよい」と、おじいちゃんの好きな歌を小さい声で毎日歌って聴かせていました。僕はこの行為を見てもう見ていられないし、この死の現場に来たくなくなりました。こんなことを言っては不孝の極みだし、今までかわいがってもらった恩に対し申し訳が立たないので、僕もほんの少し歌を歌ったり、話かけたりしました。僕は思いました。こんなになるまで延命をさせるのはかえって残酷ではないのか?もう死なせてあげればいいのに、と。これはいけないことだろうか?死ぬ自由はないのであろうか?
私は死が恐い。何故か?死がどういうものか得体が知れないからだ。しかし、恥をかきつつ生きながらえるぐらいなら死を選びたい。
一方、僕は自分が暇なときに子供とよく遊びました。これはこれまで記事にしてきた通りです。子供と遊んでいると、エネルギーを子供からもらっているように感じます。子供という生物は純真無垢という言葉が本当に似合います。子供は何に対しても全力で取り組み、全力で興味を示します。これは全身で世界を知ろうとし、感じようとしているからでしょう。
私はこの夏、「生と死」両方の経験をしました。これはすごく貴重な体験であり、僕も少し考えさせられました。僕が思うに、社会の上で生きることにも、死ぬことにも自由などなく、自分はただ与えられた生を限りなく有意義に使うことこそが人生なのかと今思います。有意義な生とは多くの人の為に役に立つことか、それとも自分の為の投資なのか、それは今答えの出ることではありません。たぶんこれからも探し続けるのだと思います。
ただ、これは共通してみんなに言えることだと思います。
「あなたは彼に生かされている」
「彼はあなたに生かされている」
「僕はあなたに生かされている」
PR
この記事にコメントする
ブログいじりとふにゃにゃシック << | HOME | >> 電車男 |