歩
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since 2006/05/17
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「アイデンティティ」という言葉をよく耳にする。
「アイデンティティ」<参照:はてなダイアリー>
アメリカの心理学者・精神分析家エリクソン(Erikson,Erik H. 1902-1994。『ライフサイクル論』など)が提唱。
自我同一性、自己同一性。あるいはそれがよって立つところのものは何か、ということへの意識、自己確信。他者や社会によって承認され、認識される自己の同一性(すなわち身元)。平たく言い換えれば、「自分が自分である証」ということになるだろうか。自分探し、自分を見失う、自己拡散といった文脈で、キーワードとなる。
『「私」を「私」たらしめ、一貫性、同一性を与えているもの』って一体何だ?ってことか。
自我は常に揺れ動くもの。どこまでいっても「私」は「私」だ。「私」が環境に適応する。ただそれだけである。
悩む自分も、笑う自分も、泣く自分も、別れを惜しむ自分も、だらしのない自分も、結局自分であるし、自分は無限である。その中から掻い摘んで「自分はこうである!」なんて決め付けてしまうのなら、僕はアイデンティティなんて一生確立しなくてもかまわないと思う。(就活以外。笑)
というこのアイデンティティを僕は確立したのであろうか
「アイデンティティ」<参照:はてなダイアリー>
アメリカの心理学者・精神分析家エリクソン(Erikson,Erik H. 1902-1994。『ライフサイクル論』など)が提唱。
自我同一性、自己同一性。あるいはそれがよって立つところのものは何か、ということへの意識、自己確信。他者や社会によって承認され、認識される自己の同一性(すなわち身元)。平たく言い換えれば、「自分が自分である証」ということになるだろうか。自分探し、自分を見失う、自己拡散といった文脈で、キーワードとなる。
『「私」を「私」たらしめ、一貫性、同一性を与えているもの』って一体何だ?ってことか。
自我は常に揺れ動くもの。どこまでいっても「私」は「私」だ。「私」が環境に適応する。ただそれだけである。
悩む自分も、笑う自分も、泣く自分も、別れを惜しむ自分も、だらしのない自分も、結局自分であるし、自分は無限である。その中から掻い摘んで「自分はこうである!」なんて決め付けてしまうのなら、僕はアイデンティティなんて一生確立しなくてもかまわないと思う。(就活以外。笑)
というこのアイデンティティを僕は確立したのであろうか
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