歩
歩
since 2006/05/17
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『ここら辺近辺(紀伊半島南部海沿い)は圧倒的にO型が多いんだ。さらには太平洋に接している高知の海沿いや九州の南部の方(つまり鹿児島や宮崎の海沿い辺り)もO型が圧倒的に多いのだよ!これは何を意味するかというともともとは同じ子孫である確立が高いということなのだよ。しかも海際で一年中ぽかぽかしているせいか、温厚な性格の人が多い!』
このことは司馬遼太郎の「街道を行く」や「尻啖え孫市」にも記されていました。
戦国時代の鉄砲は当然ながら連射できないため、とにかく一発でしとめないといけません。確実に相手を撃ち倒すには、十分にひきつけてひきつけて、気持ちを落ち着かせられる性格の持ち主が鉄砲撃ちとして向いていたそうです。つまり、「あせらず」「のんびり」という気質をもっていた紀伊の民たちは鉄砲に向いている。
ということらしいです。これ単に笑い話なのか!?笑
『しかし、いいことばかりではなく、一年中ぽかぽかしているせいか天才が少ないんよ。やっぱり人間たまには厳しい寒さに耐えたりせなあかん。
』
だそうです。これはどこまで信憑性があるのだろうか?笑 和歌山の頭の良さを調べてみました。
日本は漁業国といわれるが、明治以前、この技術については、地域によって高低があった。
他を圧してすぐれていたのは、紀州(和歌山県)であった。
―紀州の漁師と勝負したい。
と、ヘミングウェイが、晩年、洩らしていたというはなしをきいたことがある。明治以前の日本の漁法のなかで、紀州人が開発しなかった漁法をさがすほうがむずかしいといわれる。
一本釣のうきや網のさまざまから、周遊する魚群を把握することからはじめる鰹漁、さらには鯨を浦に追いこんで心臓を仕とめる捕鯨にいたるまで、ほとんどの方法は、紀州人の脳細胞からあみだされたのである。忘れていた。鰹節の発明者も、中世末期の熊野(南紀州)人である。
よく熊野水軍などという。
平安末期の源平合戦で、熊野水軍が重要な役割をはたしたといわれるが、右のような生産上の実力をわすれてはならないのである。
(「街道をゆく―印旛・伯耆のみち」全集60)
ほら!頭いいじゃん和歌山!笑 司馬遼太郎にちょっと興味が沸きました。
このことは司馬遼太郎の「街道を行く」や「尻啖え孫市」にも記されていました。
戦国時代の鉄砲は当然ながら連射できないため、とにかく一発でしとめないといけません。確実に相手を撃ち倒すには、十分にひきつけてひきつけて、気持ちを落ち着かせられる性格の持ち主が鉄砲撃ちとして向いていたそうです。つまり、「あせらず」「のんびり」という気質をもっていた紀伊の民たちは鉄砲に向いている。
ということらしいです。これ単に笑い話なのか!?笑
『しかし、いいことばかりではなく、一年中ぽかぽかしているせいか天才が少ないんよ。やっぱり人間たまには厳しい寒さに耐えたりせなあかん。
』
だそうです。これはどこまで信憑性があるのだろうか?笑 和歌山の頭の良さを調べてみました。
日本は漁業国といわれるが、明治以前、この技術については、地域によって高低があった。
他を圧してすぐれていたのは、紀州(和歌山県)であった。
―紀州の漁師と勝負したい。
と、ヘミングウェイが、晩年、洩らしていたというはなしをきいたことがある。明治以前の日本の漁法のなかで、紀州人が開発しなかった漁法をさがすほうがむずかしいといわれる。
一本釣のうきや網のさまざまから、周遊する魚群を把握することからはじめる鰹漁、さらには鯨を浦に追いこんで心臓を仕とめる捕鯨にいたるまで、ほとんどの方法は、紀州人の脳細胞からあみだされたのである。忘れていた。鰹節の発明者も、中世末期の熊野(南紀州)人である。
よく熊野水軍などという。
平安末期の源平合戦で、熊野水軍が重要な役割をはたしたといわれるが、右のような生産上の実力をわすれてはならないのである。
(「街道をゆく―印旛・伯耆のみち」全集60)
ほら!頭いいじゃん和歌山!笑 司馬遼太郎にちょっと興味が沸きました。
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また暗いこと書きます。
すまそ。
泣かないということは泣くことよりつらいことかもしれない‥
今日は僕のじいちゃんの通夜でした。89歳‥寿命です。兄貴は鳴咽を漏らしながら泣いていました。僕はというと兄貴の隣で、ただ黙って座っていました。もちろん悲しくない訳ではありません。このブログを作成しながらも込み上げてきます。しかし、じいちゃんがいなくなった実感がありません。今もまだひょっこり現れそうです。
‥心が痛い。
すまそ。
泣かないということは泣くことよりつらいことかもしれない‥
今日は僕のじいちゃんの通夜でした。89歳‥寿命です。兄貴は鳴咽を漏らしながら泣いていました。僕はというと兄貴の隣で、ただ黙って座っていました。もちろん悲しくない訳ではありません。このブログを作成しながらも込み上げてきます。しかし、じいちゃんがいなくなった実感がありません。今もまだひょっこり現れそうです。
‥心が痛い。
このブログはあまり暗いことを書かないように心がけています。本来ならこの「生と死」は未公開にし、人の目に見えないところに記録するのですが、これも自分の一面!京都に帰るのを明日に控えた今日、帰省のまとめとしてここに今の自分の考えを公開しておこうと思います。先に言っておきますが、相当重いです。ですが、これを見て近づき難くなるイメージを出すのは私の意に反します。ので、今まで通り接してください。笑
この夏休み、僕は子供と遊んでいることばかり記事にしていましたが、実は今回の帰郷は休養が目的ではありません。実は僕の母方のおじいちゃんがもう老衰であと余命が幾ばくになるかわからないということで、急遽帰宅することになったのです。勿論今まで記事にしてきたことも嘘ではありません。ほぼ毎日一時間程度通っていました。
帰ってきて僕が見たおじいちゃんはお喋りはおろか、もう満足に息すらできていませんでした。口には酸素を吸入するための装置があり、腕は肉がまるでなく、足など硬直し、ロダンか何かの彫刻のようになっていました。右目は目やにでもはや見えないし、開けない。唯一のコミュニケーション手段は左目の動きと左手の指先のわずかな動きでした。それでもまだましになった頃だったようで熱もひき、きれいな顔つきをしていました。僕のお母さんは「せっせっせ~のよいよいよい」と、おじいちゃんの好きな歌を小さい声で毎日歌って聴かせていました。僕はこの行為を見てもう見ていられないし、この死の現場に来たくなくなりました。こんなことを言っては不孝の極みだし、今までかわいがってもらった恩に対し申し訳が立たないので、僕もほんの少し歌を歌ったり、話かけたりしました。僕は思いました。こんなになるまで延命をさせるのはかえって残酷ではないのか?もう死なせてあげればいいのに、と。これはいけないことだろうか?死ぬ自由はないのであろうか?
私は死が恐い。何故か?死がどういうものか得体が知れないからだ。しかし、恥をかきつつ生きながらえるぐらいなら死を選びたい。
一方、僕は自分が暇なときに子供とよく遊びました。これはこれまで記事にしてきた通りです。子供と遊んでいると、エネルギーを子供からもらっているように感じます。子供という生物は純真無垢という言葉が本当に似合います。子供は何に対しても全力で取り組み、全力で興味を示します。これは全身で世界を知ろうとし、感じようとしているからでしょう。
私はこの夏、「生と死」両方の経験をしました。これはすごく貴重な体験であり、僕も少し考えさせられました。僕が思うに、社会の上で生きることにも、死ぬことにも自由などなく、自分はただ与えられた生を限りなく有意義に使うことこそが人生なのかと今思います。有意義な生とは多くの人の為に役に立つことか、それとも自分の為の投資なのか、それは今答えの出ることではありません。たぶんこれからも探し続けるのだと思います。
ただ、これは共通してみんなに言えることだと思います。
「あなたは彼に生かされている」
「彼はあなたに生かされている」
「僕はあなたに生かされている」
この夏休み、僕は子供と遊んでいることばかり記事にしていましたが、実は今回の帰郷は休養が目的ではありません。実は僕の母方のおじいちゃんがもう老衰であと余命が幾ばくになるかわからないということで、急遽帰宅することになったのです。勿論今まで記事にしてきたことも嘘ではありません。ほぼ毎日一時間程度通っていました。
帰ってきて僕が見たおじいちゃんはお喋りはおろか、もう満足に息すらできていませんでした。口には酸素を吸入するための装置があり、腕は肉がまるでなく、足など硬直し、ロダンか何かの彫刻のようになっていました。右目は目やにでもはや見えないし、開けない。唯一のコミュニケーション手段は左目の動きと左手の指先のわずかな動きでした。それでもまだましになった頃だったようで熱もひき、きれいな顔つきをしていました。僕のお母さんは「せっせっせ~のよいよいよい」と、おじいちゃんの好きな歌を小さい声で毎日歌って聴かせていました。僕はこの行為を見てもう見ていられないし、この死の現場に来たくなくなりました。こんなことを言っては不孝の極みだし、今までかわいがってもらった恩に対し申し訳が立たないので、僕もほんの少し歌を歌ったり、話かけたりしました。僕は思いました。こんなになるまで延命をさせるのはかえって残酷ではないのか?もう死なせてあげればいいのに、と。これはいけないことだろうか?死ぬ自由はないのであろうか?
私は死が恐い。何故か?死がどういうものか得体が知れないからだ。しかし、恥をかきつつ生きながらえるぐらいなら死を選びたい。
一方、僕は自分が暇なときに子供とよく遊びました。これはこれまで記事にしてきた通りです。子供と遊んでいると、エネルギーを子供からもらっているように感じます。子供という生物は純真無垢という言葉が本当に似合います。子供は何に対しても全力で取り組み、全力で興味を示します。これは全身で世界を知ろうとし、感じようとしているからでしょう。
私はこの夏、「生と死」両方の経験をしました。これはすごく貴重な体験であり、僕も少し考えさせられました。僕が思うに、社会の上で生きることにも、死ぬことにも自由などなく、自分はただ与えられた生を限りなく有意義に使うことこそが人生なのかと今思います。有意義な生とは多くの人の為に役に立つことか、それとも自分の為の投資なのか、それは今答えの出ることではありません。たぶんこれからも探し続けるのだと思います。
ただ、これは共通してみんなに言えることだと思います。
「あなたは彼に生かされている」
「彼はあなたに生かされている」
「僕はあなたに生かされている」
カウントが落ち着いてきました。今日は62件!なんだったんだろう‥。
さて、今日は少し靖国神社のことばっかテレビでやっているので、その話題について触れたい。ほんの少しだけ。笑
靖国神社についてというか戦争について、僕は全く知識がないからかもしれないが、特に関心がない。そもそも靖国神社はA級戦犯だけを祭っている訳ではない。それなら、靖国神社にA級戦犯を祭らなければいい。まあたぶんそこにも何か問題がでてくるんだろうが。東条英機は他にも墓があるのに、靖国神社にも墓があるらしい。二つ墓がある意味は一体どこにあるのか?
また、韓国も韓国だ。今回のデモだって、人気取りの為に上のものが民衆を扇動しているように見える!小泉首相も、中国も、韓国も、政治云々を一切省いてしまえばいいのに。そうすればよりよい国交が築けるのではないのか?ま、政治も含めて国交なんでしょうが。大体、中国や韓国はもはや日本より経済が発展してきてるじゃないですか。笑 この穀物持久力も低い、武器もほとんどもたない、外国に頼りっぱなしのこの国から一体何をさらに援助されようというのか?笑 片腹痛し。
ほら!ちょっとって言ってもついつい長文になる。笑
おしマイケル。ぷ
さて、今日は少し靖国神社のことばっかテレビでやっているので、その話題について触れたい。ほんの少しだけ。笑
靖国神社についてというか戦争について、僕は全く知識がないからかもしれないが、特に関心がない。そもそも靖国神社はA級戦犯だけを祭っている訳ではない。それなら、靖国神社にA級戦犯を祭らなければいい。まあたぶんそこにも何か問題がでてくるんだろうが。東条英機は他にも墓があるのに、靖国神社にも墓があるらしい。二つ墓がある意味は一体どこにあるのか?
また、韓国も韓国だ。今回のデモだって、人気取りの為に上のものが民衆を扇動しているように見える!小泉首相も、中国も、韓国も、政治云々を一切省いてしまえばいいのに。そうすればよりよい国交が築けるのではないのか?ま、政治も含めて国交なんでしょうが。大体、中国や韓国はもはや日本より経済が発展してきてるじゃないですか。笑 この穀物持久力も低い、武器もほとんどもたない、外国に頼りっぱなしのこの国から一体何をさらに援助されようというのか?笑 片腹痛し。
ほら!ちょっとって言ってもついつい長文になる。笑
おしマイケル。ぷ
昨日のアクセス数が176件!なんじゃこりゃ。二重カウントは防止にしてあるんで、176人に見られたということになる‥。そんなこと初めてだな。嬉しいことだ。
さて、では我町論後編いきますか。
地元のいい点その1!
自然!さすがにコアラやカンガルーはいませんが、この地には確かにたくさんの生物が根付いています!緑が眩しい位に輝いています!海があまりに雄大すぎます!空が、そして空気が澄み渡っています!実際のところ自然しかない!と言っても過言ではありません。笑
地元のいい点その2!
ご近所付き合いが盛ん!これはまあいいことばかりではないのですが、暖かい人情というやつに触れることができます!『これ炊いたんやけど』と、お隣さんがおかずをおすそ分けしてくれることもしばしばです。というかこのシステムが京都に欲しい。笑
地元のいい点その3!
魚介類が新鮮!これは我が町の誇りです!京都なんて目じゃありません!だって我が家から出て右に進もうと、左に進もうと、そこには海が存在するのですから。これで魚介類が新鮮じゃないなんて嘘です。笑
生活習慣があまり乱れていない!とか、時間の流れが穏やかだったりと、他にもいいところはいっぱいあります。
こんなにもすばらしい場所ですが、町に都会ほど活気が溢れていません。観光業もうまくいっていないようです。
世界遺産にも認定されて話題を呼んでいる熊野三山や、日本一の滝那智の滝などさまざまな見所があるのに、観光業では食べていけない現状‥これはどうしてか?それは交通の便の悪さにあるのだと思います。この地域は『陸の孤島』と呼んでいいほどに交通の便が悪いのです!日本本土でありながら、電車では京都からだと片道四時間半‥車でも四時間かかります。これでは都市部から人は流れてきません!早急に交通の整備が必要であると思います。また、観光業がうまくいっていないところは、観光都市である京都から習う場所はたくさんあります!和歌山は海外へのPRや、近隣の都市部へのPRが足りていないように感じます!和歌山に京都のポスターは貼っていますが、京都に和歌山のポスターは貼っていないのです。日頃の喧騒を忘れたい都会に住む人達、海外の方達に来てもらうには自分たちから積極的に商業を、観光業を、交通を、住みやすさをPRする必要があります!住民の積極的な活動、交通の便をよくすることが町を活気づかせ延いては深刻に迫りつつある過疎化も食い止めてくれると私は考えます!
こんなことはわかっている!お金がないんだ!と町は言いたいでしょうが、ではその借金はいつ返せるのでしょうか?うまくいかない観光業、商業で、私達はいつになったら借金を返せるのか?返せた頃には町人の大半は老人で、機能しているのは老人ホームだけということにもなりかねません。今以上に町から活気がなくなってしまいます!
町に活気を!町に活気を!!!
さて、では我町論後編いきますか。
地元のいい点その1!
自然!さすがにコアラやカンガルーはいませんが、この地には確かにたくさんの生物が根付いています!緑が眩しい位に輝いています!海があまりに雄大すぎます!空が、そして空気が澄み渡っています!実際のところ自然しかない!と言っても過言ではありません。笑
地元のいい点その2!
ご近所付き合いが盛ん!これはまあいいことばかりではないのですが、暖かい人情というやつに触れることができます!『これ炊いたんやけど』と、お隣さんがおかずをおすそ分けしてくれることもしばしばです。というかこのシステムが京都に欲しい。笑
地元のいい点その3!
魚介類が新鮮!これは我が町の誇りです!京都なんて目じゃありません!だって我が家から出て右に進もうと、左に進もうと、そこには海が存在するのですから。これで魚介類が新鮮じゃないなんて嘘です。笑
生活習慣があまり乱れていない!とか、時間の流れが穏やかだったりと、他にもいいところはいっぱいあります。
こんなにもすばらしい場所ですが、町に都会ほど活気が溢れていません。観光業もうまくいっていないようです。
世界遺産にも認定されて話題を呼んでいる熊野三山や、日本一の滝那智の滝などさまざまな見所があるのに、観光業では食べていけない現状‥これはどうしてか?それは交通の便の悪さにあるのだと思います。この地域は『陸の孤島』と呼んでいいほどに交通の便が悪いのです!日本本土でありながら、電車では京都からだと片道四時間半‥車でも四時間かかります。これでは都市部から人は流れてきません!早急に交通の整備が必要であると思います。また、観光業がうまくいっていないところは、観光都市である京都から習う場所はたくさんあります!和歌山は海外へのPRや、近隣の都市部へのPRが足りていないように感じます!和歌山に京都のポスターは貼っていますが、京都に和歌山のポスターは貼っていないのです。日頃の喧騒を忘れたい都会に住む人達、海外の方達に来てもらうには自分たちから積極的に商業を、観光業を、交通を、住みやすさをPRする必要があります!住民の積極的な活動、交通の便をよくすることが町を活気づかせ延いては深刻に迫りつつある過疎化も食い止めてくれると私は考えます!
こんなことはわかっている!お金がないんだ!と町は言いたいでしょうが、ではその借金はいつ返せるのでしょうか?うまくいかない観光業、商業で、私達はいつになったら借金を返せるのか?返せた頃には町人の大半は老人で、機能しているのは老人ホームだけということにもなりかねません。今以上に町から活気がなくなってしまいます!
町に活気を!町に活気を!!!
あまりに快適すぎます!我が家!テレビもあり~の、ご飯は勝手に出てき~の、洗濯はやってくれ~の!この世の天国というやつでしょうか?笑
しかし、長く帰っていないとさまざまなことに気づかされます。
地元の悪い点その1!
暗い!女性ならいつ襲われてもおかしくありません!それ程、街灯もなく、民家の明かりもほとんどなく、ただ月でぼんやりと辺りが照らされています。明らかにこれは危険です!直すべき!
地元の悪い点その2!
土地が狭い!自分が普段駅まで行くのにうざったく感じていたことも、実は京都からしてみれば超が付くほどの近場でした!走れば5分もかかりません!
地元の悪い点その3!
閉鎖的空間!というか商業的活動がすごく乏しいように感じます!だから、個人個人の付き合いしかなく、新しいものが入ってこないのではないでしょうか?これは一番問題です!たぶんこのことがその1も、その2も引き起こしている原因でしょう!
なんとか町おこしをする術はないものか‥。
明日はこれとは逆に、地元のいいところを載せたいと思います!田舎には田舎にしかないいいところもあります!乞うご期待!
しかし、長く帰っていないとさまざまなことに気づかされます。
地元の悪い点その1!
暗い!女性ならいつ襲われてもおかしくありません!それ程、街灯もなく、民家の明かりもほとんどなく、ただ月でぼんやりと辺りが照らされています。明らかにこれは危険です!直すべき!
地元の悪い点その2!
土地が狭い!自分が普段駅まで行くのにうざったく感じていたことも、実は京都からしてみれば超が付くほどの近場でした!走れば5分もかかりません!
地元の悪い点その3!
閉鎖的空間!というか商業的活動がすごく乏しいように感じます!だから、個人個人の付き合いしかなく、新しいものが入ってこないのではないでしょうか?これは一番問題です!たぶんこのことがその1も、その2も引き起こしている原因でしょう!
なんとか町おこしをする術はないものか‥。
明日はこれとは逆に、地元のいいところを載せたいと思います!田舎には田舎にしかないいいところもあります!乞うご期待!
ゲド戦記見てきました。
感想は‥まぁ‥おもしろかったです。
故宮崎駿氏の息子さん(名前忘れた)が作った初めての作品。当然、賛否両論あると思われます。
ここからは私の感想を述べたいと思います。
結構批評することが一杯あるので、先に今回の映画の素晴らしかったところを先に述べておきます。
今回の映画、何が見所かというと、やはり主題歌でしょう!この主題歌なしに、この映画は完成しません!しかも声もいい!素晴らしい人選だと思います。
さて、では批評いきますか。笑
息子さんは今回のゲド戦記親の敷いたレール、世界観を壊すことなく、作品を仕上げたように見えました。しかし、息子さんの『らしさ』はどこにあるのでしょうか。私には見て取ることができませんでした。もともとあるスタジオジブリというのブランド、親から受け継いだ大きな責任。息子さん自体、かなり苦心の末の作品であるのでしょう。
また、このゲド戦記はたぶん原作を読んでいる人は微妙だったんじゃないかと思います。僕は原作を読んでいないのでなんとも言えませんが、ゲド戦記というだけあって、ゲドの戦記ということなのでしょうか?この映画に描かれたのはその戦記の中の一つなのでしょう。ゲド(おじさん)の主題はあくまで『光と闇の均衡が崩れた理由を探す旅』なのに、その理由について映画中には全く出てきませんでした。『現代を風刺している』という風に捉えられなくもないですが。物語をへし折ったようにも見えます。まぁ映画自体は主人公がゲドではないので、話の筋は通っていましたが、いかんせん腑に落ちない終わり方になってしまいました。ナウシカのときは完全に一つの物語として完結できていましたが、今回のゲド戦記はそれが完全にはできていなかった‥そこに差を感じざるをえません。
‥と、やはり故宮崎駿氏と比べてしまいます。笑
この比較に息子さんは苦しめられているのでしょう。偉大な先代を持った次の世代というのは大変です。
これだけ書いておいて、原作そのまんまなら、赤っ恥もいいところですね。笑
あくまでこれは僕の思索なので、正しいとは限りません。あしからず。笑
こんだけボロボロに書いておきながら、まぁおもしろいと書いても信憑性はありませんが、それでもまぁ‥おもしろかったです。映画は感性で楽しむものですから。(僕の場合)
なら、批評すんなよ!というツッコミが入りそうですね。
勘弁してください。m(__)m笑
とにかく!声優さんが下手だ!子音だけはしっかり出さんと何と言ってるかわからん!と合唱人ぽい言葉を〆として、この文章を締めたいと思います。笑
他にもゲド戦記を見に行った人いますか?みなさんのご感想お待ちしています。
以上。こんな長い文章に付き合っていただきありがとうございました。m(__)m
感想は‥まぁ‥おもしろかったです。
故宮崎駿氏の息子さん(名前忘れた)が作った初めての作品。当然、賛否両論あると思われます。
ここからは私の感想を述べたいと思います。
結構批評することが一杯あるので、先に今回の映画の素晴らしかったところを先に述べておきます。
今回の映画、何が見所かというと、やはり主題歌でしょう!この主題歌なしに、この映画は完成しません!しかも声もいい!素晴らしい人選だと思います。
さて、では批評いきますか。笑
息子さんは今回のゲド戦記親の敷いたレール、世界観を壊すことなく、作品を仕上げたように見えました。しかし、息子さんの『らしさ』はどこにあるのでしょうか。私には見て取ることができませんでした。もともとあるスタジオジブリというのブランド、親から受け継いだ大きな責任。息子さん自体、かなり苦心の末の作品であるのでしょう。
また、このゲド戦記はたぶん原作を読んでいる人は微妙だったんじゃないかと思います。僕は原作を読んでいないのでなんとも言えませんが、ゲド戦記というだけあって、ゲドの戦記ということなのでしょうか?この映画に描かれたのはその戦記の中の一つなのでしょう。ゲド(おじさん)の主題はあくまで『光と闇の均衡が崩れた理由を探す旅』なのに、その理由について映画中には全く出てきませんでした。『現代を風刺している』という風に捉えられなくもないですが。物語をへし折ったようにも見えます。まぁ映画自体は主人公がゲドではないので、話の筋は通っていましたが、いかんせん腑に落ちない終わり方になってしまいました。ナウシカのときは完全に一つの物語として完結できていましたが、今回のゲド戦記はそれが完全にはできていなかった‥そこに差を感じざるをえません。
‥と、やはり故宮崎駿氏と比べてしまいます。笑
この比較に息子さんは苦しめられているのでしょう。偉大な先代を持った次の世代というのは大変です。
これだけ書いておいて、原作そのまんまなら、赤っ恥もいいところですね。笑
あくまでこれは僕の思索なので、正しいとは限りません。あしからず。笑
こんだけボロボロに書いておきながら、まぁおもしろいと書いても信憑性はありませんが、それでもまぁ‥おもしろかったです。映画は感性で楽しむものですから。(僕の場合)
なら、批評すんなよ!というツッコミが入りそうですね。
勘弁してください。m(__)m笑
とにかく!声優さんが下手だ!子音だけはしっかり出さんと何と言ってるかわからん!と合唱人ぽい言葉を〆として、この文章を締めたいと思います。笑
他にもゲド戦記を見に行った人いますか?みなさんのご感想お待ちしています。
以上。こんな長い文章に付き合っていただきありがとうございました。m(__)m