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『ここら辺近辺(紀伊半島南部海沿い)は圧倒的にO型が多いんだ。さらには太平洋に接している高知の海沿いや九州の南部の方(つまり鹿児島や宮崎の海沿い辺り)もO型が圧倒的に多いのだよ!これは何を意味するかというともともとは同じ子孫である確立が高いということなのだよ。しかも海際で一年中ぽかぽかしているせいか、温厚な性格の人が多い!』

このことは司馬遼太郎の「街道を行く」や「尻啖え孫市」にも記されていました。

戦国時代の鉄砲は当然ながら連射できないため、とにかく一発でしとめないといけません。確実に相手を撃ち倒すには、十分にひきつけてひきつけて、気持ちを落ち着かせられる性格の持ち主が鉄砲撃ちとして向いていたそうです。つまり、「あせらず」「のんびり」という気質をもっていた紀伊の民たちは鉄砲に向いている。

ということらしいです。これ単に笑い話なのか!?笑


『しかし、いいことばかりではなく、一年中ぽかぽかしているせいか天才が少ないんよ。やっぱり人間たまには厳しい寒さに耐えたりせなあかん。


だそうです。これはどこまで信憑性があるのだろうか?笑 和歌山の頭の良さを調べてみました。


日本は漁業国といわれるが、明治以前、この技術については、地域によって高低があった。
他を圧してすぐれていたのは、紀州(和歌山県)であった。
―紀州の漁師と勝負したい。
と、ヘミングウェイが、晩年、洩らしていたというはなしをきいたことがある。明治以前の日本の漁法のなかで、紀州人が開発しなかった漁法をさがすほうがむずかしいといわれる。
一本釣のうきや網のさまざまから、周遊する魚群を把握することからはじめる鰹漁、さらには鯨を浦に追いこんで心臓を仕とめる捕鯨にいたるまで、ほとんどの方法は、紀州人の脳細胞からあみだされたのである。忘れていた。鰹節の発明者も、中世末期の熊野(南紀州)人である。
よく熊野水軍などという。
平安末期の源平合戦で、熊野水軍が重要な役割をはたしたといわれるが、右のような生産上の実力をわすれてはならないのである。

(「街道をゆく―印旛・伯耆のみち」全集60)

ほら!頭いいじゃん和歌山!笑 司馬遼太郎にちょっと興味が沸きました。
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無題

海辺近辺が同じ一族(かもしれない)の裏付けだけ調べてない!( ̄□ ̄;)!!
吾妻 2006/08/26(Sat)22:23:31 編集

無題

海辺近辺のヒト達が、ホントに同じ一族だったらオモシロイなぁ~(o⌒▽⌒o)♪
僕もO型(o^v^o)親戚だねっ☆゛

ごっど 2006/08/26(Sat)22:37:31 編集

無題

私も太平洋側の○型ですよ~親戚ですね(●´∀`●)司馬遼太郎好きです…あんまりたくさん読んでないけど↓↓
まっ 2006/08/27(Sun)00:09:00 編集

無題

し、親戚が増えちゃったよ( ̄□ ̄;)!!お小遣ちょうだい!笑
吾妻 2006/08/27(Sun)09:10:38 編集
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